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母が亡くなり、9日後に父が亡くなってわかったこと

正月早々に母が亡くなりました。80歳でした。
しかも母が亡くなって9日後に、父も亡くなりました。
2週続けて呼ばれたお坊さんも、「こんなに近い日で、夫婦で亡くなるのは記憶にない」とビックリ。

2週間続けて喪主をするという、2,020年の幕開けでした。

いろんな葛藤を体験したので、読んでいるみなさんの「もしものとき」の参考になるかもと思い、

ようやく落ち着いてきたので、感じたことを書いておこうと思います。

ちなみに、親の死を公表すると、堅苦しいお悔やみの言葉をいただきますが、そのお気遣いは無用です。

それは本意ではありません。
情報として参考にしていただければうれしいです。

ーーーーーーーーー

●正月早々に

正月三が日が終わり、1月4日に「マインドチェンジ2日間セミナー」の講師として登壇しました。
セミナー初日が終わり、夕食も終わり、ソファでうたたねしていたときに、電話がありました。

着信の名前を見ると、青森に住む弟からでした。
弟のやり取りは通常LINEのみで、電話が掛かってくることなんて、ほとんど記憶にない。
なので、嫌な予感しかありませんでした。

予感は的中。

「母さんが亡くなった。
 死亡時刻22時30分頃。。
 22時ごろ、病院から危篤という連絡があって駆けつけたけど、間に合わなかった」

泣きながらの電話でした。
そばで妹が号泣している声が聞こえます。
妹が電話に出て、
「数日前からとてもつらそうだった!最後までがんばったんだよ!」

そのとき、私の感情は、
「ああ、母さんの闘病はやっと終わったんだな。重荷を手放して、ようやく旅立ったんだな」
という、ほっとした気持ちでした。

 

●スピリチュアル的に言うと・・・

20代で、シャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」という本を読みました。
衝撃的でした。
スピリチュアルの先駆け的な本です。

・魂は生まれ変わる
・だから、たとえ自分の子供が死んでも、私は悲しくない

このフレーズがとても印象に残っています。

その直後に、バシャールの講演会に参加しました。
それから25年ぶりの2018年、ロスでのバシャールツアーに参加。
本田健さんとバシャールの対話の一部始終は、
『本当にやりたかったことを今すぐ始めよう』(本田健×バシャール著)に書かれてあります。

その一部を紹介します。

 

 

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本田健「世の中には不幸な事故や事件がたくさんあります。なかには4歳で亡くなる子供もいます。そういう悲劇的な死も、それぞれ魂レベルで選んでいるということなのでしょうか?」

バシャール「ある意味ではそうです。何を経験するかはそれぞれ違います(中略)」

本田健「たとえば4歳のお子さんを亡くしたお母さんなど、一生立ち直れない人もいるわけですよね」

バシャール「それはそういう観念があるからです。お母さんはその魂ともう心がつながっていないと思ってしまうから。でもじつはその魂に触れることができるのです。

早い時期に人が亡くなるというのは、場合によっては、手を伸ばし、心を広げれば、残された人はその魂に触れることができるということに目を向けるためかも知れません。それに気づけば、どんどん精神世界に手を広げていくことができます。そして自分の意識を広げ、さらに死は最後の結末ではないということに気づくきっかけになるかもしれません。

魂は永遠に不滅だということです。肉体の世界はあくまで幻想であり、一時的なものにすぎません。魂の観点からすれば、遊園地に行ってジェットコースターに乗るようなもので、数分乗って終わりです」

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いつでも亡くなった魂はそばにいるよ。
ということのようです。

また、死は、魂にとっても窮屈な3次元からの卒業だから、喜ばしいことだとかも、聞いてきました。

つまり、「親しい人や身内が亡くなったときは、そうやって考えればいいんだ」
と、言い聞かせてきました。

ですから、母が亡くなったと聞いたときには、
「寂しい感じもするけど、晩年、ずっと身体の不調と闘い続けていたから、ようやく楽になれてよかったね」
という気持ちでした。

でも、お通夜や葬式になったら、全然違う。
スピリチュアル的に理解していたつもりになっていただだけで、感情は追いついていませんでした。
感情を理性でフタをしていただけだったようです。
詳しくは、後日書きます。

 

●連続で亡くなった
亡くなったと連絡を受けたものの、
セミナーは、翌日もありましたし、すぐに行く必要性もないということで、
翌日5日のセミナー終了後に青森に向かうことにしました。

ちなみに、セミナーでは、参加者に親が亡くなったことは伝えていません。
参加者にとってせっかくの変容の邪魔になると思ったからです。

5日のセミナーが終わってから上野駅に向かいました。
そしたら、駅の自動券売機で何度やってもうまく買えないんです。
窓口に行ったらなんと、新幹線は満席だったのです。
だから買えなかったんです!!
5日の日曜日に、これほどまでに、東京から青森方面に帰る人がたくさんいるとは想定外でした。
5日中には青森に行けないので、しょうがないので、翌日、出直すことになりました。

さて、翌日の月曜日は、平日だけにスムーズにきっぷが買えました。
葬儀会館に到着して、遺体と対面しました。

「こんなにやせ細っていたんだ・・・」
「表情を見ると、相当、苦しんだみたいだなあ」
「もう、きつい身体から離れて自由になれてよかったね」

妹家族も来て、孫4人は母と一緒の部屋に寝ました。
翌日、係の人と打ち合わせ。
その翌日の昼に火葬して、それからお通夜。
翌日金曜日はお葬式をして会食をして終了。

※青森では最初に火葬!これにはビックリ!

葬式が終わり、法要を終えたのが15時ごろ。
それから父のお見舞い。
お見舞いといっても、会話にもならないし、私のことを認識しているかどうかもわからない。

その後、実家に寄って、最終の新幹線で東京に帰りました。
翌日土日の2日間は、セミナーが入っていましたからね。

その2日間セミナーを終了して、
1月13日の月曜日は、ようやく何も予定がない日。

1月4日からここまで、怒涛の10日間。
だから、のんびりと昼頃に起きました。

目覚めてスマホを見ると、、、、、
弟から数え切れないほどの着信が残っていました。

「なんで!え!まさか父が!!」

留守電も聞かずに慌てて電話すると、
「今日の朝、9時10分に父が亡くなった」

母のように、数日前から具合が悪かったということもなく、
いきなり急変したそうです。

またまた青森にトンボ返り。
打ち合わせ、火葬、通夜、葬式、家の片付け。

すべて終わったのが1月19日。
激動の2週間でした。

書き記しておきたいことがいろいろですが、
今回は、入院と死について。

 

●昨年5月に親が相次いで入院

昨年、2019年の5月5日に、父が入院しました。
父は当時84才。
道端で倒れていたところ、通りがかりの歩行者が救急車を呼んでくれて緊急入院。

2018年に、父の兄が亡くなってから、ずいぶんと気落ちして、ウイスキー1瓶を1日で飲み干してしまうくらいのアルコール依存症になりました。
アルコール依存症の治療で数ヶ月入院もしました。
2019年になり、うつ病から始まった認知症で、徘徊するようにもなり、
母は人様にどんな迷惑をかけるかが不安で、
しょうがなかったようです。

5月3日の真夜中に、近所の玄関で、「ドアを空けろー」と暴れて、警察沙汰になりました。
認知症ということで、そのまま一旦自宅に帰宅。
でもまた外に出てしまい、その数時間後に道端で歩行者に発見されて、救急車で入院になりました。

診断によると、父は、強度の認知症と急性腎不全。
透析が必要だから、自宅看護は無理。
私はLINEで状況を連絡してもらうだけですが、もう家族みんなパニック状態。

 

すると、父のことでストレスがマックスになったのでしょう。
追いかけるように、
2日後の5月7日に、なんと母が倒れました。

救急車で運ばれて、即入院。
意識が数日なくて、とても心配しました。

診断によると母は、
肝硬変、肝性脳症、糖尿病、静脈瘤、動脈硬化などの合併症。
ここから父、母と、私達兄弟の、闘病生活が始まりました。

ちなみに闘病3年とかだと、家族はボロボロだったでしょう。
8ヶ月は、心の準備もできたし、感謝しています。

 

●医者との面談にムカついた

「お母さんの病状は、東京のお兄さんを含めて、家族が全員揃ったら伝えます」
とお医者さんが言っているとのこと。

「別に弟と妹に伝えればいいじゃないか」と思いつつ、お医者さんのスケジュールと、私のスケジュール、弟のスケジュールを合わせて面談の日程を決めました。(妹は専業主婦)

母の病院の面談日と同じ日に、父の病院の面談日もセッティングしてもらいました。

面談の日、新青森駅に到着して、母の病院に向かいました。
母は起きていて、普通に会話ができました。
いつもの母のままでした。
入院している必要はないんじゃないか?と思うくらい。

途中でお医者さんとの面談。
2時間かかりました。
母の病院は、老人ホームのような病院で、お医者さんも暇なんでしょうかね。

60代後半から70代半ばくらいだと思われるお医者さんが、何度も同じ話をします。
言い方は忘れましたが、こんな内容です。

・余命は1ヶ月から、長くて3ヶ月。8月のお盆は越せないだろう
・うちは治療設備が整っていないから、静脈瘤が破裂しても手の施しようがない
・負担のかかる延命処置は、患者さんは望まないのではないか
・だから、延命治療を放棄するという同意書にサインをしてほしい

これを何度もお医者さんは言うのです。

それに対して私は、

「少しでも長く生きれるのであれば、できることは全部やってほしいです」

すると、お医者さんは不機嫌そうに話し始めます。

「それを本人が望みようならそれでもいいでしょうけど、望まないんじゃないですか?
 破裂したら救急車を呼んで、県病のような施設のあるところに移すしかない。
 でも、県病でもこのレベルだったらできることはほとんどないと思うよ
 しかも、移しても、県病では何ヶ月も置いてもらえないから、また病院を探すことになりますよ。
 そのときに、うちは空いていないかもしれないし、他に受け入れてくれるところは少ない」

つまり、「延命処置を希望するな」という主張のようです。
とってもムカつきました。

「もし静脈瘤が破裂したら、そのときに、救急車を呼ぶのが最善でしたら、そうしてください。
  そのまま何も処置をしないで看取るだけなんて受け入れられないです」

その後、結果的には、処置しきれなくなって、県病に緊急移送。
1カ月後に、他の病院に受け入れてもらうことになりました。
あのとき、もしサインをしていたら、数ヶ月は早く亡くなっていたと思うので、判断は正しかったと思いたい。

 

●父の面談

父の病院でも面談をしました。
35〜40才くらいの医師でした。
面談時間は1時間ほど。

胃ガンが見つかったと言われましたが、兄弟全員が「ああ、そうですか」という反応。
びっくりして、お医者さんが言いました。
「普通だと、ガンが見つかったと家族の方に伝えると、もっと驚かれるものですけどね」

なるほど、もっと驚くものなのか。

ほんの1時間ほど前に、母の状態について面談を2時間もして、
「お母さんは3ヶ月はもたない。もしものときは責任取れない」
と言われたせいで、疲れ切っていたせいでしょうか。
いずれにしても、もう何を聞いても平気な感じ。

こちらのお医者さんも、
「むやみに余命を延ばすようなことは、患者さんが望んでいることでしょうか?」と、おじいさん医師と同じような趣旨のことを言います。
おじいさん医師のときはムカつきましたが、若手医師の言い方はスマートで、素直に聞くことができました。

何が違うのか。

おじいさん医師は、上から目線の口調だし、妹の発言に途中で怒鳴って威嚇したり。
(怒るほどのことではないと思うが、医者的には許せないらしい。なんで妹が怒鳴られたのか、覚えていないくらいですから、些細なことだったと思う)

私が「少しでも長生きしてほしい」というと、すぐに反論する。
まったく、信頼関係が持てなかったです。
お医者さんには、私のセミナーに参加して、コミュニケーショントレーニングをしてほしいです(笑)

いや、この記事は、それよりも別なことを伝えたくて書きはじめたんだった。

状況説明はこれくらいにして、そろそろ本筋に入りますね。

いよいよ、ここからみなさんに伝えたいことです。

 

●胃ろう

胃ろうという言葉を、面談で初めて知りました。
お腹に穴を開けて、胃に直接栄養を流し込む口を設置することを、胃ろうといいます。

父は認知症のため、暴れて、鼻チューブを外してしまうから、ずっと手を拘束されたまま。
拘束を解いてしまうと、栄養失調で亡くなってしまう。
そこで、胃ろうという手段がある。
認知症で自力では食べられないし、誤嚥性肺炎を防げる。
また、鼻チューブのままだと、これから転院した場合、対応できる病院が限られる。
でも、自力での食事は二度と取れなくなる。

判断に迷いましたが、結果的に、胃ろうを選択しました。
これはかなり大変な決断でした。

 

●スパゲッティ症候群

いろいろと調べていくうちに、終末医療の不思議なことをいろいろと感じるようになりました。

・治療ができる病院に入院しても、せいぜい2〜3ヶ月だけ。
・病状が落ち着いたら、転院しないといけない。
・転院先は、治療ができない終末医療のみ。

親が倒れる前は、これらのことを知りませんでした。

また、スパゲッティ症候群って知ってますか?
鼻から管を通し、体中に機器を取り付け、モニターで心拍数を確認することを、『スパゲティ症候群』と呼ぶらしいのです。

それが人道的なのか?とも問題になっているそうです。

「食べれなくなったら動物は終わり。
人間も自然な形で死を迎えたほうがいい」
なんて書いてる文章を読むと、あの判断は正しかったんだろうかと胸が痛みました。

 

●延命治療をどうしますか?

さて、今回一番伝えたいことはここからです。

延命のための治療もできる。
でも効果はさほど期待できない。

そんなときに、あなたなら、どのような判断をしますか?

私は、自分の親の寿命を縮める決断はできませんでした。

「もう充分がんばった」と言えるほどの期間でもないし、

「延命処置をしなくてもいいです」と、伝えることは、とても考えられませんでした。

 

そこで、これを読んでいる人に提案です。

あなたは、自分がもしものときは、どうしてほしいのか?

家族に決断を背負わせるのは、とても酷。

ですから、もしものときはどうしてほしいのかを、
しっかりエンディングノートなどに書いておく。

これをオススメします。

 

私がもしものときは、延命治療を望みません。
もし私が意識がない状態でも、
「本人が望んでいたことだから」
ということで、
延命治療をしない方向で看取るのが本人も家族もベストだと、私は思いました。
残された家族によっては、本人がいくら望んでも同意できない人もいるでしょう。
いろんな意見があると思います。

でも私は親に対して、
もしものときの延命処置をどうするのか、
お墓や葬式などはどうしたいか、
などなど、本人の意思を聞いておきたかった。

葬式については次回書きますが、
いろいろと聞いておけたらよかった。

でもやっぱり、入院中の親に「死んだらどうする?」
みたいなことは聞けませんでしたし、

兄弟同士でも、
「もし亡くなったら」という前提で話をするのは、死を早めるような気がして、タブーな感じがありました。

こういった思いを、残された人には味あわせたくないと、心から思います。
エンディングノートが普及すれば、家族の負担も大きく減るでしょう。

 

●無理に延命処置をしなくてもいいかな

ほぼ8ヶ月間、毎日見舞いに行ってくれた弟と妹から、毎日病状の報告があり、
ときおりお医者さんとの面談の報告もありました。

刻一刻と悪くなる状況報告と、
2ヶ月1回程度のお見舞いで、親が死を目前にしていることを、ようやく受け入れられるようになってきました。

そうそう、あまり頻繁に見舞いにいくと、カンのいい母は、気づいてしまうのではないかというのもありました。
実際、3回目のお見舞いのときに、私の顔を見た瞬間、喜んでくれるどころか、
今まで見たことがないような絶望的な表情をしていました。

どうやら、めったに顔を見せることがなかった不肖の息子が、また見舞いに来た。
「ああ、きっと自分は死ぬんだ」と、悟ってしまったのではないかと思います

葬式の日に弟がその瞬間のときのことを振り返って言いました。
「兄貴が明るく話しかけていたのに、あのときの母さんのあの表情は、見ていられなかったから後ろを向いたよ」

 

8ヶ月間で、母は、何度も意識不明になり、その都度、息をを吹き返しました。

でも年末には、いよいよ呼吸困難に陥りました。
見舞いに行った妹からは、「息をするのも苦しそうだ、見ていられない」というLINEの報告が。

「もう、無理に延命をしなくてもいいかも」
と感じ始めたあたりに、それを察知したように数日後に母が亡くなりました。

葬式が終わって帰り際に父の見舞いに行きました。
「肌ツヤもよくなったね。これは長生きするよ」と、青森をあとにしました。
するとその3日後に、父が亡くなりました。

母親からは、毎日のようになじられていて、仲がいいとは思えない夫婦だったのに、なんとまあ仲がいい。

そしてまたまた、お通夜とお葬式となりました。
先週と同じお坊さんが現れました。
毎日たくさんのお見送りをしているが、こんなことは滅多にないとのこと。

とても気遣ってくれました。
でも、喪主としてやることがいっぱいで、
悲しんでいる余裕がないような感じでしたけど。

でも、後で悲しみがやってきました。

〜〜〜〜〜〜〜

お葬式も、ほんとに、いろいろと感じることだらけでした。
喪主を2週続けてやったおかげで、ずいぶん詳しくなりました。
これも情報として、皆さんにお伝えしたい。

では次回、お通夜、葬式についてもいろいろ書きたいと思います。
相場もさっぱりわからないという人には参考になるでしょう。
では次回に。

 

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追記 2020年2月7日
================

フェイスブックでたくさんのコメントをいただいて、伝えたかったことが明確になりました。
 
私も、
・「もう治療してもたいして変わらないなら、延命なんてみんなが迷惑」
・「延命処置しますか?と言われたら、いや、けっこうですって言えばいいでしょ」
 
くらいに思ってましたから。
 
事前の情報として、
これから老人ばかりになるから、病院に依存するな、自宅で看取れ、という方向性になっていくし、
無駄な治療は早く切り上げて、次の世代のために国の予算を回したほうがいいでしょ。
という意見には賛成だと思ってましたし。
 
延命処置は、たくさんの人を看取っている 医者から見ると、エゴだとも思うらしいです。
それもわかります。
もっとほんとうに必要な人に、リソースは使うべきだとも思います。

 

でもでも、
いざ、「延命処置をしない、看取るだけという紙にサインをしてください」
と言われた瞬間、
それまでの合理主義は消し飛びました。
 
「いやいや、ちょっとそんな待ってよ!
 母はまだ、普通に会話できてるんだよ!
 弟も妹も、母を励ますために毎日見舞いに来てるんだよ!
 何もしないことにサインしろっていうのは、見殺ししろっていうの!」
 
みたいな怒りが湧いてきて、
「いえ、たとえ効果が少ししかないとしても、できることは全部やってほしいです!」
と、多少キレながらお医者さんに言いましたもん。
 
 
 
結論です。
 
患者がめちゃめちゃつらそうで見ていられないとかの、
強い理由でもないと、延命治療中止の判断はできない人は多いんじゃないかな。
親と話し合っているくらいじゃ足りなくて、
エンディングノートなどに親が書いておいてくれないと、
決断できない家族も多いんじゃないかなあ?
と思いました。
 
これからますます医療が発展して、
ますます簡単には死ねない時代になります。
参考になればうれしいです。
 

 

 

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